数学は簡潔かどうか(47)

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自分はそもそも数学が必ずしも簡潔じゃないかなと最近思ってたりする。

全体的には簡潔なんだけども、例外や分岐があった時に、ああ数学ってなんでこんなに汚いんだろうと思う。

例えば、連立方程式で未知の変数が2つでイコールが2つだったら解ける。けれども片方が恒等式もしくは2つが同じことを言っていた場合は解けない。

これは、zero-divideが解けない問題と対応する。実際に解けない連立方程式を解こうと試みればわかる。

上に書いた例を覆す例は他にもある。例えば、未知の変数が2つあってイコールが1つでも解ける例。
もとの連立方程式をf(x)=0,f(y)=0として、

f(x)^2+f(y)^2=0

とすれば、イコール一つに纏められる。

他にも数学が美しいと言われて納得できないことは色々とある。不完全性定理もそうだし、ゲーデルエッシャー・バッハで不完全性定理に到達するまでの過程で説明された多くの事象が、僕には美しいとは思えない。最初から全てが決まっていたような美しい仕組みにひびが入っているように感じる。

そんなときに、こんな話を聞いた。「宇宙は自分自身を動かす仕組みを時とともに変化させている」。

調べたら、どうやらこの本らしい。宇宙をプログラムする宇宙―いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?

残念ながら読んでないが、とにかく宇宙は自分自身を書き換えられるのではないか。

で、あくまで妄想に過ぎないレベルだけど、僕は次のように考えた。

「数学の定理も、実は自己書き換えしているのではないか。*1そうすると数学における自己矛盾なもやもやも、ところどころであまり美しくない例外があることも、説明がつくのではないか」

もしそうなら、数学さえも手続き型なんだろうなと思った。

ちなみにさっきの記事のリンクとかの流れで、ここから転じて関数型言語一辺倒の人を批判する流れみたいのも作れる気がするけど、あいにく僕は関数型に触れたことがほとんど無くて、関数型に恨みなどないし口出しする資格すらないわけで保留。

ああ、ツッコミどころ満載の記事だなあ。待ってますツッコミ。

*1:人間から見て自己書き換えされているように見えないのは、人間自身がその公理系の中で生きているからと考える。中からは外は見えないっていうセオリー。